譜面的視点と波形的視点

についてちょっと言及してみようと思ったのだが、なんか大方「なるほどねー」だったので、うまく書けなかった。
なので、そういうことなのかもしれない。


でも、僕の貧弱な楽曲ライブラリーの中での良曲というのは、本当に部分部分がよく練られていて、互いに影響し合って、それが全体で心地よいサウンドを生み出している。
十分それ(全体の雰囲気とか、それこそ浮かぶ映像だとか)に浸ったあと、「なんでこんなに心地よいんだろう」ということを、(一つの手法として)部分的に解析することは、それほど下品なことだとは思わない。
好きな音楽をより深く追究しているだけのように思える。


それに、結局それは所詮ジャンルの縛りによっても結構変わってくる気がする。
例えば、僕だったらクラシックを45分くらいずっと全体のイメージに集中して聴くのは、疲れてしまうのでたぶんできない。
時にはこの楽器を楽しもうととも思うし、時にはこの全体が作り出すハーモニーがやべえとも思うし、あーなんかよくわかんないけど飛んじゃいそうとかも思う。
ボーカルの存在もたぶん例外で、波形としてしかとらえなかったらたぶん歌の魅力は半減以下な気もする。
って、「電子音楽くらいでしか実践できないかも〜」て書いてあるね。


たぶん僕の場合、最初は波形的視点、徐々に譜面的視点って感じで両方聴いていると思う。


しかし、それを楽曲"制作"に適用すると、自分でも思うところがある。


とりあえずベース音配置して、それに合うメロディー考えて、リズム考えて・・・
結局、最初は明確にあった伝えたいイメージから離れていって、ただの音楽になってくる。
そしてそれが続いてくると、徐々に最初の"イメージ"を大切にしなくなってくる。
まさに、パート毎にとらえることの弊害。


僕は今この罠にはまりかけているなあと思う。
そんなに明確なイメージを持ってはいなかったと思うけど、それでも最近はただただ配置するという傾向に傾きつつある。

ので、見直す良い機会になった。感謝。


もっとも、レベル的には、そんなことを考えながら曲を作っているより、ただただ技術を高める方が重要なのかなという気もするんだけど。


思いのほか長くなったね。書きながら整理できていたのかもしれない。
こんな口調で書こうと思っていたものじゃなかったのになあ、よくわからん。